「阿片戦争(上)滄海編」での脇役マカオ
香港に住んでまもなく3年、マカオに通い始めて1年半。相変わらず知らないことだらけではあるが、その土地にいて初めて積み重なる経験や出会いというのも出てきた。
本土といえばシンセン位しか行っていないけれども、○○省出身、○○省産、なんて言葉で普通にイメージが湧く位の地理的な知識の素地は出来てきたし、中国というとよく耳にするとんでもない犯罪の話や、お下品な素行を目撃するだけでなく、びっくりするほど親切だったり、知的だったり、上品だったりする中国人の方にもお会いする機会があり、その驚くべき多様性と深みも肌で少しだけ感じられるようになってきた気がする。
そんな中で、うろ覚えだったこの辺りの歴史を読めば読むほど、日本で昔読んだのとは違う実感が沸いて、とても興味深く楽しめることに気付いた。
そして今読んでいるのが陳舜臣の「阿片戦争」。やっと上巻を読み終わって、少しずつ戦争を避けられない状況が築かれてきているところだ。もちろん香港はまだないので、主な舞台は今のところ主役級が広州、脇役がマカオ。
私がマカオに通いはじめたのはつい最近のことだが、昔ながらの港町の風情と大航海時代の影響が色濃く残った情緒ある街並みはとても魅力的だし、大規模開発が進むカジノホテルも毒気が抜かれて、安心して楽しめる明るい場所が多い。しかし、確かについ最近まで、マカオと言えば裏社会、マフィアの抗争など暗くて危ないイメージがつきまとっていたのは覚えている。
そんな裏マカオが築かれた時代の話であるから、「あくまで中継地点であって、何ら自ら生み出さない街」として、この本のマカオは登場する。「そういう感じだったんだろうな」と納得は行くのだけれども、一方で、マカオで会う地元の人達の、それはそれはそこはかとない優しい風情とか、穏やかな人柄とか、芸術を愛する雰囲気とか、確かに国民性みたいなものはそこに明確にあるのに、それが築かれた歴史というのは、なかなかどこからも見えてこない。
などと思っていたところで、この本の中で、私の心を読んだようなエピソードが登場した。あるイギリス人が、マカオ育ちの中国人の商店を訪ね「心の澄んだ、うつくしい人間である。会って話をしているだけで、気持ちがあたたかくなった。けっして威圧を受けるとか、ふかい感銘を胸に射し込まれるといった相手ではない。ほのぼのとしたもの、--国を遠くはなれて、とかく荒みやすくなっている心を、やすめてくれるものがあった」(第二部「買弁」P408)。これはまさしく私がマカオの旧市街を訪ねる時に感じる気持ちなのだ。
その後で、彼はイギリスから一緒に渡ってきた荒くれ者の知人を訪ねる。外国人向けの酒場と売春婦斡旋業で羽振りのいい知人は、新世界で道が開けたと張り切っている。「阿片基地のマカオは、罪悪の街である。ここには、あやしげな酒場、賭場、売春窟、阿片吸引所--悪と名のつくもので、ないものはないありさまだった」(同上 P409)。
そして彼はその二つのマカオの顔を「まったく別世界のように思える」と述べる。
やはり何かしら、マカオにはそんな二面性が長年つきまとっていたのだろうか、と本編とは関係のないところに妙に着目してしまうのだった。
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阿片戦争 上 滄海編 (講談社文庫 ち 1-1) 著者:陳 舜臣 |
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