カテゴリー「7)昔、これが大好きだった!」の7件の記事

ビートルズ以上に誰も好きになれなかった理由

Youtubeができてから、昔を振り返ることが増えた気がする。また見られるとは思わなかった、お宝映像が何でも見つかるから、時々、お互いの好きだった音楽やらドラマやらアニメやらを見せ合う「Youtube」合戦を旦那とする。結構それで気がついたら夜中の3時なんてことになっていたりもして、はまります。

面白かったのは「子供の頃、テレビで日本のアニメをやっていて、海の中の話で、少年が出てきて、冒険して...」という夫(イギリス人)の話に、「これは『海のトリトン』だろう」と決めつけてYoutubeで見せたら、「いや、これは違う」(夫)。結局、なんとそのアニメとは「海底少年マリン」(だっけ)だった。これは私、覚えてなかったなー。

と、そんな話はさておき、Youtubeで色々と昔の音楽を探して思い出に浸るうちに、長年解決できなかった疑問が一つ解けた。

小学校5年の頃、1年半位、私は異常なほどビートルズに熱中していた。

学校にいる間、音楽が聴けないのがもどかしくて、走って家に帰ってずっとカセットテープを聴いていた。部屋中にポスター貼って、読める本は何でも読んで。英語も分からないのに対訳カードで一生懸命歌われていることを理解しようとしていた。

こうして海外で暮らすようになったのも、思えばビートルズの音楽が成長期の大事な頃に自分の血となり肉となったことにつながっているはずだ。

もちろん当時、とっくの昔にビートルズは解散していた(といっても今思えば解散して10年しか経っていなくて、今よりずっと生々しかった。全員存命だったし)。「あと10年早く生まれれば、同時代で楽しめたのに」とまるで死人に恋してしまったように、嘆き悲しんでいたのだ。

全部のアルバムを確か最後からさかのぼって全部聞き込んで、さんざん聞いて、いつの日か、卒業した。しかしその頃は「ビートルズは卒業したけど、また誰かを同じくらい好きになって、充実した日々を送るんだわ」と信じていた。

しかし、それは結局起こらなかったのだ。

なぜだろう。もう二度と誰にも夢中になれないのかしら。この人だ、と思っても結局、何枚かアルバムを聴くと、離れて行ってしまう。

それはQueenになるんだろうな、とかなり期待していた。『オペラ座の夜』まではすごく良かったから。それなのに『華麗なるレース』だっけ、あれで「バーイシクル、バーイシクル」というあのフレーズを聴いた途端、なんじゃこりゃ、だめだ、とガラガラと何かが崩れていった。

今思えば笑えるくらい、真剣に悩んでいたのだ。「もう誰も愛せない」って。

結局、何年かして、諦めの境地に達した私は、まあ音楽以外に興味の対象が広がりすぎて、音楽が生活に占める割合がすっかり小さくなってしまった。

それなのに、うん十年経った最近、急に、なぜ私は、この世にいないグループをそんなに愛してしまい、それ以降、誰も愛せなくなったのか、その理由が閃いた。

それはビートルズが既にこの世にいなかったから。死人だったからなんだ。

(気がついたとき、実は寒気がしてしまった)

なぜなら、心あるミュージシャンであれば、必ず同じところに留まってはいられないから、変化する。「このアルバムは最高だ!!」という自分にとってものすごく相性のいいアルバムの後、1年や2年して次にリリースされるアルバムは、大抵、前のアルバムと全然テイストが違っている。

その頃はLP1枚買うのだってお金がないから大変なのに、虎の子をはたいて買ってきて、家についてさあっとかけてみたら、あれ、うそ、何、これ??? と戸惑い、それがやがて怒りに変わったりしてしまう。

もちろんそこで粘って、聞き込むうちに良さが分かってきたこともあるけど、遅かれ早かれ、関係が終わる時は来てしまう。「この人こそ運命の...」と思ったのに、心変わりしてしまう自分を止められない。

ビートルズだって、それはもう、ものすごい変化を遂げた。たった10年の中でまるでまったく別のミュージシャンのように変わった。ありとあらゆる実験を試みて、中には「うーん、これはちょっと(「レボリューションNo.9」とか)」とさすがの私もついていけない曲もあった。

でも裏切られた気分にはならなかったのだ。だって、もう終わっていて、「彼らはこのアルバムでこんな実験をして、その後、こんな風に変わっていき、こんな素晴らしい成果を上げて...」と歴史がもうそのとき、決定済みだったから。ものすごい変化を遂げた時さえも、「さあ来るぞ、すごいのが来るぞ」と待ち構えていることができた。それでも「これはすごい」と驚けるだけの、衝撃はあったのだけれども。

どこか安心できる環境の中で、自分のペースで(1枚を聞き込んだら次、と。生きているミュージシャンなら普通は何年に1枚しかレコード出さないのに)、ものすごい密度で、自分は年齢を重ねない同じ状態のまま、すべてを聞き込めた。もちろん中身が尋常ではない、最高のものだということが大きいのだけれども。

とにかく私にとって「なぜ、もういない人たちを?」という長年の謎が、「もういないからこそ」という形で解消したのは、青天の霹靂ともいえる驚きだった。

そして、なんだかつきものが落ちてしまって、もったいないことをした気もする。

ちなみに昨日、クイーンのグレイテストヒッツを聞いていて「バーイシクル、バーイシクル」を聞いたら、あら、まあ、なんだか面白い曲ではないですか。こんな内容だったんだ、とびっくり。まさにビートルズ的な実験をしてたんだ。それにしてもフレディの声のとんでもない素晴らしさに改めて驚く。彼が生きている間にもっと聞いて、同時代を生きることを楽しめばよかった。ついでにコンサートにも行っておくべきだった!! あそこで聞くのをやめてしまったことは大損害でした。はい。

最近見つけたおもしろいビデオ(ジョン&フレディ夢の共演!?)

http://www.youtube.com/watch?v=-A_GRuxXO_M

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若さの魅力―マライア・キャリーの巻

自分がすっかり熟女な年齢に達したせいもあるけれど、私が童顔であろうがなかろうが、今にして思えばものすご~く若い頃から「君も年を取ったね」「やっぱり女は若くなきゃ」のようなことを言いたがる人が周りに一定の割合でいた。

「ただ生物的に若いからいいってもんじゃない、人生経験を積んだ人間的な魅力が大事なんだ」と、常に思っていたし、実際その通りだと思って生きている。

それなのに最近、ある人に対してはすっかり矛盾する気持ちを捨てられない自分に気がついてしまった。

その人は、マライア・キャリー。彼女がデビューした時から確か4枚目位のアルバムまで、朝から晩まで彼女のCDを聞いたり、アンプラグドのビデオを見たりしていた。90年代の前半だ。ちょうど5年間誠心誠意、一生懸命働いていた会社と業種から離れて、まったく何のコネもなければ知識もない出版業界に転職しようともがいていたころだった。

周囲からは「なんて無謀な」「もったいない」色々言われたけれども、それよりも自分自身、「こんな無茶なこと、しちゃって本当にいいのかな」という迷いとの戦いだった。

そんな中で、曲作りに熱中し過ぎてお金がなくて靴も買えなかった、と自分のデビュー前の状況を”Make It Happen”で歌うマライアにとても励まされていた。あまり周囲の人に相談できる状況でもなく、何となくマライアが空想上の親友になっていたのかも。

その頃の彼女は、20歳になったかならないか位の若さで、ガリガリで、髪の毛は大爆発のカーリーヘア、服装は地味だけれどもなかなか趣味よく黒で決めていて、ものすごいシャイで、ろくにステージで話もできないからコンサートも自信がなくてまだできなかったほどだった。

しかし一度歌い始めると、ものすごいんだ、これが。そのギャップと、作る曲の素晴らしさも魅力だったっけ。

しかし、その後、彼女は変わった。ものすごく変わった。

おそらく、ものすごく自分の容姿にコンプレックスがあったのだろう。全身サイボークのように整形して、髪はストレートの金髪にして、化粧もけばくなって、すっかりディーバな行動をするようになる。

最初は「マライアどうしたの」と思ったけど「権威を得たら本当の性格が出たのだろう。これが彼女のやりたかったことなんだ」と思うようになる。

それがエスカレートして、露出狂状態になっていき、私生活のごたごたから精神もかなり一時期やられていたようだ。

音楽は誰が歌ってもどーでもいいような、ラップミュージシャンとのコラボばかり。すごく悲しかったけれども、いつしか完全に私とは赤の他人になってしまって何年もの時が過ぎた。

精神的に追い込まれすぎて一時期まったく鳴かず飛ばず状態に陥り、レコード会社もクビになった彼女が、最近、再起した。久しぶりに聞いたアルバムで、”Bye Bye”という曲を聴いて涙が出た。大好きだったお婆ちゃんが最近亡くなったそうで、そのことをまるで話しかけるように気持ちをまっすぐに語りながらそれが見事な歌になっている。思っていることが、こんなに素直に歌に置き換えられるなんて、すごいことだと思う。

こーんな風に歌が作れたらいいだろうな、とただ単純に羨ましく思う。

おばあちゃんは、マライアが完全復活する前に亡くなってしまったのでしょう。

「私がナンバー1に戻ったことを教えてあげたかった」なんてラインもまた泣かせる。

これこそ私の大好きだった若い彼女が、波瀾万丈の人生経験を積んで、たどり着いた美しき成熟した姿なのだ。素晴らしいではないか!!

でも、やっぱり。私はあの原石時代の、純粋そのものの彼女が好きなんだ。

たくさんの人に自分の歌を聴いてもらえることが嬉しくてたまらないというあの姿が。

そんなこと言われたって人は成長しなくちゃいけないんだから、我ながらマライアに対して不公平だと思う。

私だって「今の君じゃなくて19歳の時の君じゃなくちゃ嫌なんだ」と言われたら、悔しいとか悲しいとか思わないで、ただあほか、と思うだけだろう。そのままでいられるわけがないんだから。

今のマライア Bye Bye
http://hk.youtube.com/watch?v=L9HX_taCUM0&feature=related

昔のマライア Vision of Love (デビュー曲)
http://hk.youtube.com/watch?v=CSd08_ceDj8

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さようなら、広川太一郎さん

声優の広川太一郎さんが亡くなられたと聞きました。68歳、まだそんなにお若かったのだとびっくり。

「007でロジャー・ムーアの声を担当」と新聞記事に必ず書かれているのに違和感。広川さんといえばトニー・カーティスでしょう。ロジャー・ムーアと共演していた「ダンディ2華麗なる冒険」という番組を、子供の頃、楽しみに見ていました。

これがもう、広川さんのアドリブのギャグだらけのハチャメチャな台詞で、抱腹絶倒のコメディになってしまっていて、後に英国に住んだときに、"Persuader" というタイトルのオリジナルを見たら、全く別物でびっくりというか、がっかりというか。淡々として見えてしまいました。

あれだけ自分の色を出してしまう吹き替えって、今だったら許されないでしょうね。トニー・カーティスにも愛着を感じていたのですが、彼の声で聞くと別にそんなに面白い人でもなく、「あ、あのキャラクターは全部広川さんのものだったんだ」と気がつかされました。

それから何といってもモンティパイソン。夜10時から放送なので、小学生だった私は眠い目をこすりながら必死に起きて見ていました。

スプラッターコメディばりの相当過激な話もありましたが、国営放送であるBBCがあんなすさまじいものを作ってしまう、保守的なようでいてパンクロックが生まれる土壌があり、過激さも好むイギリスならではの不思議なバランス&奥深さを子供心に学んだ気がします。あれも私の中では吹き替え版の記憶の方がずっと深いのです

当時まだアングラ感たっぷりだったタモリが本編の後に出てきたりして、今思えば不思議というか野心的な番組でしたね。

今は映画を吹き替え無しで見るのが当たり前になったせいか(英語版字幕がついているのが一番楽ですけど)、製作者の意図にそったオリジナル尊重が当たり前、と思ってしまっていたけど、広川さんの出演作で涙が出るほど笑った思い出を考えると、白黒付けられなくなってきます。

うちの父も65歳で亡くなったし、何となく雰囲気が似てるような気がしたので、心が痛みます。ご冥福をお祈りいたします。

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萩尾望都を読み聞かせ!?(2) 「リデル森の中」

最近、やっとアマゾンで「ポーの一族2」(フラワーコミックセレクション)を購入。娘に見つかる前に一気に読みました。

やっぱりその素晴らしさは筆舌に尽くし難い!

「いくら30年近く経ったとはいえ、どうしてこんなに覚えていないんだ」と自分の記憶力の無さ(覚えるのは人一倍早いのに、忘れるのも同じくらい早い!)に呆れつつも、初めて読むかのような新鮮さが感じられて、それはそれで得した気分に。

それでも、昔読んだ時は、頼りなげなアランに肩入れしていて、『一週間』とか『ペニーレイン』など、アランが目立つ小品が好きだったなあ、などと、何となく薄っすら思い出しました。

このシリーズでいう「1」と「2」の間のブランクが長かったため、絵柄が大きく異なっていて、昔は「丸みがあって、ちょっと古い感じがする前期より、シャープで洗練された絵柄の後期の方がカッコいい」などと思っていましたが、今見ると、どちらにも言いもいわれぬ魅力があります。

ただ、その絵柄と共に、物語の方向性は大きく異なっていて、エドガーの子供時代への憧憬に満ちていた前期では、あどけなさが溢れている温かみのある絵柄がぴったりはまって、かえって「こんなに可愛らしい者たちが、呪われた存在に変わってしまったなんて」という切なさを盛り上げていました。

一方、この「2」に収められた後期の作品では、エドガー達の年齢も数百年に達したせいか、彼らの人間たちへの目もより冷めたものに変わっていて、冷酷な吸血鬼としての行動がより目だってきて、それでも残った人間らしい気持ちや、彼らを何世代にもわたって目撃してきた人間達に受け継がれた記憶や執着との葛藤が色濃くなり、物語を織り成しています。

そんなことを思うと、まさしく絵柄上の彼らの変化も、「何百年も生きて得た知識や経験と諦念、その代わりに失いつつある人間の記憶と感情」という状態を、ぴったりと表しているのかもしれません。

そんなこと、あんなことを思いつつも、娘に読み聞かせを始めました。より強まったドラマ性に、「え、オズワルドって誰だっけ、えっ、お父さんなの、え、おじいちゃん?」と慌てて1を広げたりしながらも、娘は引き込まれてました。

先ほど、今日は風邪で学校を休んでいる娘に、大サービスで原稿を書く手をちょっと休め、次の『リデル森の中』を読んであげました。

恥ずかしながら、読んでいる途中から、読むのに使っているところとまったく違う脳の回線がつながってしまったのか、涙腺をやられてしまって、何とかごまかして娘にはバレずに最後まで読み切るのに苦労しました。こういう淡々としたのに弱いんですね。

自分で読んでいたときにはそんなことなかったのに。音読するって無意識に物語をより深く味わえる、独特の効果があるんだなと実感。

やっぱり子供にも音読させなくっちゃ!

この「リデル人形」の話の中では、吸血鬼ならではのハードな面は影をひそめ、エドガーとアランは、永遠の少年、ピーターパンなのです。

本当はリデルの両親を殺した犯人だったりすることは置いといて、まるでリデルはピーターパンに連れられてネバーランドで育ったロストボーイズのような子供時代を送り、人間界に戻され、やがて年老いていくのです。

淡々と語られるリデルの思い、彼女の目から見たピーターパンたちとの暮らし、実は「彼らの仲間入りをさせることもできたのに、あえてそれをしなかったことが、リデルに対する二人の最大の愛情」だったことを、彼女は知らない、ということを読者は知っているけど、リデルには教えてあげられないというジレンマ・・・・・・。

こんなちょっとした小品なのに、朝から脳の使っていない部分が刺激されました! さー原稿、締め切り、がんばるぞ!

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映画『マトリックス』とかけて、IFCモールと解く。その心は......

昨日、久しぶりに『マトリックス』のDVDを見ました。なぜかこの映画「何度見ても飽きない。見るたびに『え、こんなシーンあったっけ』という驚きがある」と夫婦で意見が一致し、100回は見たのじゃないか、という位、一時はまっていました。

何年かぶりに見ても、やっぱり面白かった! 今回、初めて気づいたのは、ニオとトリニティーが、あの方を救出に行くシーンで、エレベーターの緊急停止スイッチを押した時、エレベーターのパネルに「Have a Nice Day!」とメッセージが表示されたこと。おかしいなあ、どうして今まで気づかなかったのだろう!!

さて、もちろんこの映画のキアヌは、相変わらず絶対他の人では出せなかった透き通った無垢な不思議な存在感を発揮していて、久しぶりの目の保養をいたしました。

しかし、何といっても目が離せなかったのが、エージェントスミス。

香港に来てから、よく会うなと思っていたのです。あの耳にかけてるグルグルのイヤホンマイクといい、サングラスといい、「私はこの穢れた人間界を清めなければ」という冷たーい表情やら。

エージェントスミスが世に出てから、セキュリティーのお兄さんが皆、彼そっくりになった気がしてます。エージェントスミスはセキュリティーのお兄さんのファッションリーダー&トレンドセッターなんですね。

そして香港でエージェントスミスによく会えるのは、と言うと、やっぱりIFCモールでしょう! ここのセキュリティーのお兄さんの硬質な雰囲気は、群を抜いています。

忘れられないのが、一昨年の夏。香港に来たばかりで、長女と次男は何とか受け入れ先の学校が決まったのに、人数が多い2000年生まれの長男だけ学校が決まらず、何と3週間も私と2人きりの浪人生活を送ってました。友達もまだいない国で、昼間は遊ぶ相手もいないし、外は灼熱の暑さだし、とはいえ家にいると「ゲームばっかりやらないで」と私も腹が立ったりして、何とも辛い時期でした。

とにかくどこかの学校に入れないかと、手当たり次第、問い合わせ、見学、願書提出をしていました。その日は、香港島の端っこにある、某インターの見学で、朝6時頃家を出て、まともに朝食も食べられず、長い見学の終了後、タクシーを何とか拾って30分以上かけてやっとIFCモールに戻ってきました。2人とも暑さと疲れでへろへろ。

HSBCのATMがある、モールの一番隅の隅で、はーー疲れた、と窓の近くの出っ張りに2人で思わず腰を下ろしたところ、ほんの1秒後にはエージェントスミスがどこからともなく現れて「座るな」! 

ま、考えて見ればATMの近くだからカメラで監視してたのかもしれませんが、そのあまりの素早さには人間離れしたもの(もしかしてマトリックスで確認しているのか?)を感じました。

そう思ってIFCモールを眺めて見ると、ただちょっと腰掛ける場所って、室内には全然ないですね。エージェントスミスも怖いし(もちろん、地図の前でうーんと悩んでいると「どこを探してるんですか」と声を掛けてくれたりして、優しい時もあります)、リラックスできる雰囲気ではないかなー。

その点、昨年九龍にできたエレメンツは、同じMTRコーポレーションのモールで、同じ店も多く入っていますが、今のところセキュリティーのお兄さんは、劇場の係員のようなソフトな佇まいだし、隅っこの方のふかふかソファでおじさんが居眠りしていても、誰も飛んできません。無料で座れる場所も沢山あるし、こちらの方がフレンドリーで好きですね~。

エージェントスミス、エレメンツには乗り移って来ないでね!

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萩尾望都を読み聞かせ!?

ことの起こりは、ここ数年取り組んでいる私的プロジェクト、「我が子を本好きにする」。

とりあえずオークションでどっさり買い込んだりした児童書や絵本を、引っ越す度にえいこら運びながら、読み聞かせはできるだけ毎日、今は3人の子どもたちが一人一冊選んできたものを順番に読んでいる。もちろんこれは子ども達も大好きな時間になっている。

その次の段階としては、「自分で読みながら物語の世界にのめり込む」経験をして欲しいもの。

しかし、のれんに腕押しな状態が続いてきた長女(9歳)。インターの英語が格段に難しくなってきてることもあり、これからの読書の中心は英語の本にしていく方が本人のためかもしれない、でも日本語の世界もなるべく深めて欲しいし......。そこで思い出したのが「海外に住む子どもたちの日本語学習には漫画がいい」という専門家の話。

これだ、と思って、お勧め作品として聞いていた「ドラえもん」「わたしんち」や、日本でよくテレビを見ていた「ポケモン」、さくらももこさんのXBOXのゲームにはまっていたので「ちびまる子ちゃん」、バレエをずっとやっているので「SWAN」など、とにかくとっかかりにさえなればと、目についたものを日本から取り寄せまくった。

ところが長女の反応は今イチ。高かったのにもったいない、何かが違う、と悩んだ私の心にふと浮かんだのが、子どもの頃の思い出。膨大な本の重みで地盤沈下していた私の実家。「応接間」と呼ばれていた洋間には、旧仮名遣いで書かれた母の蔵書が並んでいた。

「若い頃、すごく好きだったのよ」と母が教えてくれたのが、コナン・ドイルとアガサ・クリスティー。すぐさま飛びついた私は、最初、シャーロック・ホームズに夢中になり、その後、アガサ・クリスティーものはほとんど読破した。母は私が「今、これ読んでるの」「これ面白かった」と話す度に、照れくさそうに、嬉しそうにしていたっけ。

その後、SFから純文学に移って、ミステリーは気になったものをたまに読む程度だけれども、あれが確かに私にとって、その後の読書人生のとっかかりだったはず。何より「母が好きだというものを共有したい」という思いが、とても強烈だったことを思い出した。

そうだよ、漫画だって、私が好きだったものを娘に教えてあげればいいんじゃない。

そこで試しに取り寄せたのが、娘と同じ年の頃、夢中だった萩尾望都の作品。なるべく健全で無難(同性愛とか出てこない)なのがいいかなと自分のことは棚に上げて考え、最初に取り寄せたのが「11人いる!」だった。

手元に届いた「萩尾望都パーフェクトコレクション」というシリーズの1冊を紐解いて、衝撃を受けた。

すっかり忘れていた! ここまで素晴らしいとは。誰かハリウッドに売り込んで映画にすればいいのに。完璧なストーリー展開。うっとりするほど繊細で的確な絵。

何といっても彼女の作品で私が一番心引かれるのは、台詞やストーリーラインと並行して、背景に描かれる、登場人物の思いを代弁する詩のような部分だ。美しくて、無駄がなくて、遥かな世界に連れて行かれる。

ミイラ捕りがミイラになったのか、我を忘れて読みふけってしまった。続編での、四世が泣くページでは、久しぶりに本を読んで泣いた。無駄のない構図と構成なのに、壁によりかかった四世の頬に伝わる涙を見ると、「こういう涙はなぜかじんわりと生暖かいんだ」と、その温度さえもが自分の頬を伝わっているように感じられる。何たる表現力なのだろう。

「ママ何読んでるの?」。喰らいつきは思ったよりも早かった。お、タイトルも簡単でいいじゃない。しかし結局、考えてみれば、ただでさえ漢字が学年よりも遅れ気味の娘には、これを一人で読むのはまだ無理だった。

そしてその日から「ママ、これ読んで、読んで」と、私の漫画読み聞かせが始まった。吹き出し内の台詞、擬音、背景に描かれた言葉と絵が一体となっているから、「これを視覚で一度に見てハーモニーを味わって欲しいんだけどなあ」と思いつつも仕方なしに、「それじゃあ君は、ギギー、バタン、時は流れる......」(これは単なるサンプル)と、読み進める。かなり間抜けなんだけど、娘には楽しいみたい。

「何で? 何? どうしたの? ええ??」と「そんなことも分からなかったら理解できないじゃない」と思うような質問攻めが続くものの、娘は夢中になってくれた。何よりも、私自身が引き込まれてしまって、普段なら「じゃあもう遅いし、このページまでね」という言葉が私の口から出てこずに、冬休み中だったこともあり、なんと2回で全部読んでしまったので、ラッキーと思ったのかもしれない。

おかげで喉がガラガラ。風邪までひいた。娘は味をしめたのか、「もっと読んで読んで」と盛んに持ってくる。

日本語のちょっとした表現で切なくなったり、笑わせられたり、桃太郎の話を知っているからこそ理解できたり、そんなことの楽しさを感じてくれているといいのだけれど。

ちなみに私が泣いた部分に差し掛かった時、「来たぞ」と身構えたけど、その先の結果を見ても、娘からは反応なし。ここまでは、まだ分からないのね。

これで娘が一人で漫画を読むようになるかは定かではない。でもやっぱり私の娘、好みやら美意識は共通しているのかな。

そして今は、「ポーの一族」の1巻を読み聞かせている。これはかなり大人っぽい部分や、男の子が男の子を好きになるとか、自殺とか、ちょっとどうかなと思っていたので、私が自分で読みたくてこっそり取り寄せたつもりだったけれども、すぐに見つかってしまった。

久しぶりに読んで、その質の高さに目眩がした。特に、エドガーたちがまったく変わらないのに、彼らを忘れられない人間たちが、次の世代へとその思いを引き継いでいく、時の流れが二重に織り成されているのを感じる度に、思わず鳥肌が立つ。

大人になった娘が「ママはこれを読んでくれながら、自分が夢中になってたっけ」と思い出してくれるといいな。

私はこれから老いていき、やがては娘の思い出になる存在かもしれないけれど、小さな足跡になる一瞬を残してあげられているといいな。

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ポーの一族 1 (1) (フラワーコミックススペシャル 萩尾望都パーフェクトセレクション 6) ポーの一族 1 (1) (フラワーコミックススペシャル 萩尾望都パーフェクトセレクション 6)

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「情けない週末」が聞きたくて 

「これをするのは15年ぶり」、「高校生の頃、好きだったっけ」――。そんな昔懐かしい、自分の原点といえるモノ達を再発見するのが、今、マイブームになっている。

例えばある日突然に、佐野元春の曲で一番のお気に入りだった「情けない週末」が聞きたくなって、いてもたってもいられなくなった。itunesやらmoraやら調べたけれども見つからず、ついにはアマゾンでCDを取り寄せた。いよいよあの美しいイントロが流れ始めると、母の車のバックシートで、雨粒が窓に伝い流れる向こう側にぼんやりと浮かぶ東京の街を眺めながら、この歌を聴いていた時の気持ちがそのままに、鮮やかに、甦ってきた。これは、今の暮らしで言えば、大気汚染が最悪な日、嫌な感じに曇った香港の空が、突然の恵み雨で清められて、すっきりと透き通った夜の景色を眺めている時の感覚と少し似ている。

今では大人になって、行きたいところに行って、見たいものをみて、ずっと世界が広がったはず......。それなのに、あの頃、お金もないし、親は忙しくて旅行なんて行かないし、地平線を一度も見たことがなくて、「ロシアやモンゴルの草原でどこまでも続く地平線と満天に輝く星を眺めてみたいなあ」、などと壮大な憧れを抱きつつも、暇な時には東京の街を隅から隅まで歩く位しかできなかった自分の方が、今よりずっと繊細に物事をとらえることができていたのかも。

都会に閉じ込められていた分、コンクリートのざらつきの合間の微妙な変化だの、いい加減にならされたアスファルトにたまった水溜りの表面に滲む街の灯りだの、顕微鏡のような視線で都会の風景を貪欲に味わっていたっけ。

ああそうか、殺伐としたモノクロームの背景があるからこそ、そこで愛しい人との間に芽生えた暖かいものが、どんなに頼りなくて、今にも吹き飛ばされそうにか弱くても、くっきりと浮かび上がって、たまらなく大切に思える。私にとって、この歌が完璧に思えるのは、自分が確かに持っていたそんな感覚が、そのまま言葉になって、メロディになって、美しきかすれ声で歌われているからなのだろう。

今や、大人になってからの年月の方がずっと長くなってしまったけれど、若かりし頃に感動させられたことに、同じように感動できたり、新しい発見ができることを確認する作業は、これからの自分のためにとても意味がありそうです。

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BACK TO THE STREET Music BACK TO THE STREET

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